日本の最近のブログ記事
2011年10月18日
神嘗祭 kanname-sai

日本全国に8万社存在する神社の中で、
最も格式高い神社が伊勢神宮である。
皇室の祖先神である天照大神を祀る内宮と、
その食事の世話をする豊受大神を祀る外宮を中心に
大小125の別宮及び摂社・末社・所管社から成る。
そんな伊勢神宮では、年間1500回以上もの祭祀が行われている。
その主な内容は皇室国家関係の祭祀であるが、
豊作を祈り、稔りに感謝する祭りが中心となっている。
中でも重要なのが、毎年10月15日から25日にかけて行われる神嘗祭だ。
「神宮のお正月」とたとえられるように、
伊勢神宮の1年はこの神嘗祭のためにあるといっても過言ではない。
上記の写真は、とある神社の宮司の娘さんでもある私の友人が
10月17日に送って来てくれた実際の神嘗祭の写真である。
本当にありがたいです。
写真が送られて来た前日に知ったのですが
驚くことに、彼女はこの神嘗祭が行われる日に生まれたそうです。
なんだかすごい強運の持ち主だと感じました。
お誕生日おめでとうござます。
素敵な2012年になることをお祈りしています。
2011年10月15日
日本人として
「個より公、金より徳、競争より和」を重んじる日本国民の精神性は、
文明史上、世界に冠たる尊きものだった。
戦後、米式金融資本主義が日本人を大きく変えて来ました。
「公より個、徳より金、和より競争」という考え方が
マスコミ(TV、新聞)や教育を通して、気づかないうちに
じわじわと我々日本人に浸透して来ています。
それは、まるで「煮えガエル」の話のように。
しかし、そう簡単に日本人としてのコア・パーソナリティーは変わりません。
我々の祖先が数十万年にわたって経験した記憶の伝承、集合的無意識は
たった100年くらいでは変わらない核心的性格であったことを
東日本大震災の時に、多くの日本人が気づいたのです。
世界が驚きをもって伝えた「日本人の姿」があります。
▼ 米国CNN
「なぜ日本では災害につきものの略奪が起こらないのか、米メディアでは次々と議論が起きている」
▼ 英国BBC
「他の国ではこれほど正しい行動は取れないだろう」
▼ 中国環球時報
「日本人の冷静な対応が世界に与えた印象」
「東京では数百人が広場へ避難したが、ゴミ一つ落ちていなかった」
▼ 中国新京報
「日本人はなぜこんなに冷静なのか」
日本人が今回の東日本大震災で見せた美しい気質は
驚くことに既に『魏志倭人伝』の頃から海外に伝えられていたのです。
海外から日本人がどのように見られて来たか、
それを知ることは、「日本人とはなにか」を考察することでもあります。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ」
ポール・クローデル(1868〜1955)
我々は、メディアが伝えることを鵜呑みにせず、
知識人として心眼をもって物事を判断しなければなりません。
世界的金融危機の中、多くの人々が資本主義に疑問を持ち始めています。
米式金融資本主義は、そう長くは続かないでしょう。
日本人として、今こそ先人が積み重ねて来た「日本の心や精神」を知り
和の心を持った暮らしを世界に発信する時なのだとそう感じました。
文明史上、世界に冠たる尊きものだった。
戦後、米式金融資本主義が日本人を大きく変えて来ました。
「公より個、徳より金、和より競争」という考え方が
マスコミ(TV、新聞)や教育を通して、気づかないうちに
じわじわと我々日本人に浸透して来ています。
それは、まるで「煮えガエル」の話のように。
しかし、そう簡単に日本人としてのコア・パーソナリティーは変わりません。
我々の祖先が数十万年にわたって経験した記憶の伝承、集合的無意識は
たった100年くらいでは変わらない核心的性格であったことを
東日本大震災の時に、多くの日本人が気づいたのです。
世界が驚きをもって伝えた「日本人の姿」があります。
▼ 米国CNN
「なぜ日本では災害につきものの略奪が起こらないのか、米メディアでは次々と議論が起きている」
▼ 英国BBC
「他の国ではこれほど正しい行動は取れないだろう」
▼ 中国環球時報
「日本人の冷静な対応が世界に与えた印象」
「東京では数百人が広場へ避難したが、ゴミ一つ落ちていなかった」
▼ 中国新京報
「日本人はなぜこんなに冷静なのか」
日本人が今回の東日本大震災で見せた美しい気質は
驚くことに既に『魏志倭人伝』の頃から海外に伝えられていたのです。
海外から日本人がどのように見られて来たか、
それを知ることは、「日本人とはなにか」を考察することでもあります。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ」
ポール・クローデル(1868〜1955)
我々は、メディアが伝えることを鵜呑みにせず、
知識人として心眼をもって物事を判断しなければなりません。
世界的金融危機の中、多くの人々が資本主義に疑問を持ち始めています。
米式金融資本主義は、そう長くは続かないでしょう。
日本人として、今こそ先人が積み重ねて来た「日本の心や精神」を知り
和の心を持った暮らしを世界に発信する時なのだとそう感じました。
続きを読む: 日本人として
2011年10月14日
神道 Shinto
一個人 (いっこじん) 2011年 11月号 [雑誌]
外国人に日本について聞かれて、
日本人なのに日本のことをあまりよく知らないなと
気づいたことはありませんか。
きっと、留学経験など海外での生活がある方は
そんな経験をしたことあると思います。
僕がまず知ろうと思ったのは
日本人の心のルーツにも大きく関わっている「神道」です。
小さい頃から、よく神社へ参拝しに行っていましたが
「神道」のことは、あまりよく知りませんでした。
なので、今後少しづつ、神道について
レポートしていきたいと思います。
「世界で唯一、神話と歴史がつながる国だ」
文化人類学者:クロード・レヴィ=ストロース(1908〜2009)
2011年10月 8日
URUSHI
Urushi Musical Interface from Yuri Suzuki on Vimeo.
これは何?美しいです!漆の質感、光沢感、モダンなデザイン。どうやらこれは楽器のようです。
日本の伝統工芸とデジタル楽器の融合ですね。

制作者は、日本人のYURI SUZUKIさん。明和電気のアシスタントを経て、
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業Suzukiさん独特のエレバンとなテイストを感じます。
<Yuri Suzuki>
1980年生まれ、東京都出身。明和電機のアシスタントワークを経て、
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)のデザイン・プロダクト学科を卒業。
ダレル・ビショップに指事の下、音と音楽が人に与える影響をデザインを探る。
現在、ロンドンを拠点にフリーランスデザイナーとしてイベントのコンテントデザイン、
ワークショップデザインを行っている。同時に電子音楽に傾倒。
世界最古の電子楽器「テルミン」奏者として数々のイベントに出演。
イギリスとドイツのレコードレーベルより2枚の自身の音源を発表している。


輪島塗り × NY写真家
すべての工程が、アートだと思う
高い誇り 細部へのこだわり
魂 優れた技術
そこに費やされる膨大な時間
これら全部がひとつになって
"もの"であることを超えた
新しい価値を生み出していました
ニューヨークで活躍する女性フォトグラファーが、マンハッタンの
JAPANESE RESTAURANTでのパーティに出かけます。
そこで彼女はモダンな日本料理を引きたてる輪島塗の器に興味を持ちます。
その美しさに魅了された彼女が、もっと深く知るために、
日本・輪島にやってきて、人、町、文化に出会っていく旅ドキュメンタリーです。
2011年4月25日
災害支援ボランティア in 東松島市[03]
今回復興支援ボランティアに行ってきて感じたことはたくさんありました。
行く前は、僕のことを心配した奥さんと言い争いにもなりましたし
僕自身も不安にかられることがありました。
でも行ってみてよかったと思っています。
行く前より行った後の方がよりポジティブになりました。
実際に、僕が出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、
よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。
ただ町の中は下記の写真のように瓦礫の山です。
そして今一番被災地で足りないのは、男女問わずマンパワーです。
もしボランティアをしたいという方がいましたらコメント欄にコメントして下さい。
僕が間に入って人を紹介することも出来るかと思います。
今回ボランティアに行けない人もいろいろな形で支援してくれました。
いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で
無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る
・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える
何でもいいと思います。
その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。
まだまだ長期にわたる支援が必要ですが、
これからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。



家の前が瓦礫でいっぱいで、家に入れない方がまだまだたくさんいます。


自然の前では打つ手なし。


公園には桜が咲いていました。平和なはずの公園が余計に悲しく感じさせます。


お店の前も瓦礫だらけです。

家の前の道にはまるで当たり前かのように家具や瓦礫が置かれています。




お墓に車が立て掛けられている状況です。信じられません。。。

言葉がありません。

今回僕一人の力では、この災害支援ボランティアは実現できませんでした。
会社の社長をはじめ、ボランティア団体のTさん、また自ら志願してくれた友人2人、
救援物資を送ってくれた友人たち、行くことを許してくれた奥さん、
その他見守ってくださった皆様に感謝したいです。
本当に有難うございました。
詳しいレポートは、友人がまとめてくれましたので下記からご覧下さい。
災害復興ボランティア@東松島市
災害復興ボランティア@東松島市 2
災害復興ボランティア@東松島市 3
災害支援ボランティア in 東松島市[01]
災害支援ボランティア in 東松島市[02]
行く前は、僕のことを心配した奥さんと言い争いにもなりましたし
僕自身も不安にかられることがありました。
でも行ってみてよかったと思っています。
行く前より行った後の方がよりポジティブになりました。
実際に、僕が出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、
よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。
ただ町の中は下記の写真のように瓦礫の山です。
そして今一番被災地で足りないのは、男女問わずマンパワーです。
もしボランティアをしたいという方がいましたらコメント欄にコメントして下さい。
僕が間に入って人を紹介することも出来るかと思います。
今回ボランティアに行けない人もいろいろな形で支援してくれました。
いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で
無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る
・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える
何でもいいと思います。
その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。
まだまだ長期にわたる支援が必要ですが、
これからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。



家の前が瓦礫でいっぱいで、家に入れない方がまだまだたくさんいます。


自然の前では打つ手なし。


公園には桜が咲いていました。平和なはずの公園が余計に悲しく感じさせます。


お店の前も瓦礫だらけです。

家の前の道にはまるで当たり前かのように家具や瓦礫が置かれています。




お墓に車が立て掛けられている状況です。信じられません。。。

言葉がありません。

今回僕一人の力では、この災害支援ボランティアは実現できませんでした。
会社の社長をはじめ、ボランティア団体のTさん、また自ら志願してくれた友人2人、
救援物資を送ってくれた友人たち、行くことを許してくれた奥さん、
その他見守ってくださった皆様に感謝したいです。
本当に有難うございました。
詳しいレポートは、友人がまとめてくれましたので下記からご覧下さい。
災害復興ボランティア@東松島市
災害復興ボランティア@東松島市 2
災害復興ボランティア@東松島市 3
災害支援ボランティア in 東松島市[01]
災害支援ボランティア in 東松島市[02]
災害支援ボランティア in 東松島市[02]
ボランティアは基本的に自己簡潔型です。
飲み物、食べ物はもちろん寝る為の道具や着替えもすべて自分で持って行き
最後帰るときは自分で出したゴミも持ち帰ります。登山と一緒ですね。
なので、ボランティアに来ている方も
登山経験者やアウトドアスポーツをやっている方が多く
皆さん道具をお持ちでした。
埼玉県、東京都、山梨県、また京都府からも来ている方もいました。
いろいろな方がいろいろな思いを持ってボランティアに来ていました。

まだまだ瓦礫が残っていますが、これでも瓦礫を相当撤去しました。本当に大変な作業です。

屋根の上まで津波が来た事がわかります。
撤去作業時、もし地震が来たら屋根から落ちて来ていたかもしれません。





東松島市では、震度5以上の地震時に放送が流れるそうです。
海に一番近づいたときに放送が。。。急いで引き返しました!
結局その放送は地震の放送ではありませんでした。良かったです。
その後、友人の声で集まった救援物資を届けに石巻市総合運動公園の支援物資受付窓口へ向かいました。
もし物資を届けられる方は下記から必要物資をチェックしてみて下さい。
石巻市の支援物資の提供について

石巻市総合運動公園に送られて来た物資は自衛隊が管理している模様。

みんなから預かった救援物資たち。


「栄光に近道なし 努力に限界なし」


旭川市消防本部、小樽市消防本部。北海道からも消防隊が来ている模様。
災害支援ボランティア in 東松島市[01]
災害支援ボランティア in 東松島市[03]
飲み物、食べ物はもちろん寝る為の道具や着替えもすべて自分で持って行き
最後帰るときは自分で出したゴミも持ち帰ります。登山と一緒ですね。
なので、ボランティアに来ている方も
登山経験者やアウトドアスポーツをやっている方が多く
皆さん道具をお持ちでした。
埼玉県、東京都、山梨県、また京都府からも来ている方もいました。
いろいろな方がいろいろな思いを持ってボランティアに来ていました。

まだまだ瓦礫が残っていますが、これでも瓦礫を相当撤去しました。本当に大変な作業です。

屋根の上まで津波が来た事がわかります。
撤去作業時、もし地震が来たら屋根から落ちて来ていたかもしれません。





東松島市では、震度5以上の地震時に放送が流れるそうです。
海に一番近づいたときに放送が。。。急いで引き返しました!
結局その放送は地震の放送ではありませんでした。良かったです。
その後、友人の声で集まった救援物資を届けに石巻市総合運動公園の支援物資受付窓口へ向かいました。
もし物資を届けられる方は下記から必要物資をチェックしてみて下さい。
石巻市の支援物資の提供について

石巻市総合運動公園に送られて来た物資は自衛隊が管理している模様。

みんなから預かった救援物資たち。


「栄光に近道なし 努力に限界なし」


旭川市消防本部、小樽市消防本部。北海道からも消防隊が来ている模様。
災害支援ボランティア in 東松島市[01]
災害支援ボランティア in 東松島市[03]
災害支援ボランティア in 東松島市[01]
2011年4月23日〜24日に宮城県東松島市へ災害支援ボランティアに行って来ました。
地震後すぐに、会社の社長が
「ボランティア団体に登録してもいつ行けるのかわからない。」と言って
友人2人と共に自らボランティア団体を立ち上げました。
3月の下旬に、実際にボランティアに行って来た社長の話しを聞き
僕もボランティアに行く事を決意しました。
4月9日に行くことを考えていたのですが、
予定が入ってしまったため、GWに社長と共に行く予定でした。
その事を友人に話すと彼は待っていましたとばかりに
ボランティアに志願し、すぐに行動を起こす事になり
今回のボランティアが実現しました。
僕はとてもうれしかったです。
そこからすぐに、僕が社長を通じて現地のボランティア団体の方と連絡を取り
彼が他の友人達に声をかけてくれたり、必要物資を集めたりと様々な準備をしてくれました。
本当に心強かったです。
現地へ行く事になったのは、友人2人、それと行けなかった友人から預かった支援物資たち。
現地で足りてないものや喜ばれるものは、事前に現地のボランティア団体の人に聞いたり、
インターネットから情報を収集しました。
その結果、調味料、缶詰、野菜ジュース等が足りていなく、甘いもの、おつまみ、あたたかい食べ物等が
喜ばれる事が分かりました。
そして、いざ東松島市へ。

20時に東京を出発し、26時に現地に着きました。
テントを張る予定でしたが、雨が降って来ていたので、
車の中で寝る事にしました。

朝起きて、ボランティア保険の手続きを済ませ、
他のボランティアの方々とすぐに作業をする場所へと向かいました。
作業は住宅の前の瓦礫の撤去作業。
雨の日は、粉塵が舞う事がないので逆に良いと思います。
雨具とゴム手袋と長靴とマスクは必要です。

雨が激しくなったため、午後の作業は、ビニールハウス内の藁の撤去作業になりました。
50センチは積もっていた藁は半端ない量で、約半分の撤去しかできませんでした。
これを被災地の人たちだけで行うのとてもじゃないけど無理があると感じました。

次の日は晴れました。
晴れた日は、ここで夜みんなで暖をとっていろいろな話をするそうです。

ボランティアに方々が泊まるプレハブ。当日は僕らも含め6人が泊まりました。
もちろん寝袋です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。


コンテナが歩道に。。。

いつ倒れてくるか分からない塀の横を車で通過。

23日の午前中に瓦礫の撤去作業を行った家の前に来ました。
ここで出会った老夫婦は、海苔の生産をしていて、震災当日は急いで近くの小学校へ避難したそうです。
福島の人たちのことや東京から来た僕らのことも心配していました。
自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。






濡れた畳は本当に重く大人2〜3人で運びました。

屋根が浮いています。。。

基礎の部分しか残っていない家が多数。


23日はこの現場から海にもっと近い場所にある家に移動し
引き続き瓦礫の撤去作業を行いました。
災害支援ボランティア in 東松島市[02]
災害支援ボランティア in 東松島市[03]
地震後すぐに、会社の社長が
「ボランティア団体に登録してもいつ行けるのかわからない。」と言って
友人2人と共に自らボランティア団体を立ち上げました。
3月の下旬に、実際にボランティアに行って来た社長の話しを聞き
僕もボランティアに行く事を決意しました。
4月9日に行くことを考えていたのですが、
予定が入ってしまったため、GWに社長と共に行く予定でした。
その事を友人に話すと彼は待っていましたとばかりに
ボランティアに志願し、すぐに行動を起こす事になり
今回のボランティアが実現しました。
僕はとてもうれしかったです。
そこからすぐに、僕が社長を通じて現地のボランティア団体の方と連絡を取り
彼が他の友人達に声をかけてくれたり、必要物資を集めたりと様々な準備をしてくれました。
本当に心強かったです。
現地へ行く事になったのは、友人2人、それと行けなかった友人から預かった支援物資たち。
現地で足りてないものや喜ばれるものは、事前に現地のボランティア団体の人に聞いたり、
インターネットから情報を収集しました。
その結果、調味料、缶詰、野菜ジュース等が足りていなく、甘いもの、おつまみ、あたたかい食べ物等が
喜ばれる事が分かりました。
そして、いざ東松島市へ。

20時に東京を出発し、26時に現地に着きました。
テントを張る予定でしたが、雨が降って来ていたので、
車の中で寝る事にしました。

朝起きて、ボランティア保険の手続きを済ませ、
他のボランティアの方々とすぐに作業をする場所へと向かいました。
作業は住宅の前の瓦礫の撤去作業。
雨の日は、粉塵が舞う事がないので逆に良いと思います。
雨具とゴム手袋と長靴とマスクは必要です。

雨が激しくなったため、午後の作業は、ビニールハウス内の藁の撤去作業になりました。
50センチは積もっていた藁は半端ない量で、約半分の撤去しかできませんでした。
これを被災地の人たちだけで行うのとてもじゃないけど無理があると感じました。

次の日は晴れました。
晴れた日は、ここで夜みんなで暖をとっていろいろな話をするそうです。

ボランティアに方々が泊まるプレハブ。当日は僕らも含め6人が泊まりました。
もちろん寝袋です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。


コンテナが歩道に。。。

いつ倒れてくるか分からない塀の横を車で通過。

23日の午前中に瓦礫の撤去作業を行った家の前に来ました。
ここで出会った老夫婦は、海苔の生産をしていて、震災当日は急いで近くの小学校へ避難したそうです。
福島の人たちのことや東京から来た僕らのことも心配していました。
自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。






濡れた畳は本当に重く大人2〜3人で運びました。

屋根が浮いています。。。

基礎の部分しか残っていない家が多数。


23日はこの現場から海にもっと近い場所にある家に移動し
引き続き瓦礫の撤去作業を行いました。
災害支援ボランティア in 東松島市[02]
災害支援ボランティア in 東松島市[03]
2011年2月12日
2011年1月 4日
初詣 日光東照宮

元旦は僕の実家へ、2日は奥さんの実家へ。
奥さんの実家が栃木県にあり
家族みんなで日光東照宮へ初詣に行ってきました。
天候にも恵まれて、例年より暖かくとても良い初詣となりました。
今年も良い年になるなぁと感じました。
続きを読む: 初詣 日光東照宮
2010年12月31日
母の懐
部長の話を聞き、僕がまだ中学校の頃の母のことを思い出しました。
実家の目の前は川で、小さい頃よく虫を追いかけて捕まえたりとよく遊んでいた思い出のある場所です。
よくカルガモが遊びに来ていて、母がパン屋からパンの耳を安く買って来て細かく刻んでは
「かもちゃ〜ん」と言いながら嬉しそうにカルガモにパンの耳を与えていました。
カルガモがなかなか来ない年もあったりと、僕も母も毎年カルガモが来るのを楽しみにしていました。
なんだか外が騒がしいな〜と思って自分の部屋から外を見ると
どうやら、子供たちがカモに向けて石を投げて遊んでいる様子。
うるさいし、カモがかわいそうだったので喝を入れに行こうかと思って見ていました。
すると、母が家から凄い勢いで飛び出してきて、子供たちにパンの耳を渡して
「石ではなくてパンを投げてみて、カモも喜ぶよ〜」と、嬉しそうに言っていました。
その後、子供たちは嬉しそうにカモにパンを与えていました。
なるほどなぁ〜と。カモも子供たちもそして母自身も幸せに感じていたように感じ、
なんだかとても心が暖かくなりました。
実家の目の前は川で、小さい頃よく虫を追いかけて捕まえたりとよく遊んでいた思い出のある場所です。
よくカルガモが遊びに来ていて、母がパン屋からパンの耳を安く買って来て細かく刻んでは
「かもちゃ〜ん」と言いながら嬉しそうにカルガモにパンの耳を与えていました。
カルガモがなかなか来ない年もあったりと、僕も母も毎年カルガモが来るのを楽しみにしていました。
カモと子供と母
ある夏の日、2階にある自分の部屋にいた時の話。なんだか外が騒がしいな〜と思って自分の部屋から外を見ると
どうやら、子供たちがカモに向けて石を投げて遊んでいる様子。
うるさいし、カモがかわいそうだったので喝を入れに行こうかと思って見ていました。
すると、母が家から凄い勢いで飛び出してきて、子供たちにパンの耳を渡して
「石ではなくてパンを投げてみて、カモも喜ぶよ〜」と、嬉しそうに言っていました。
その後、子供たちは嬉しそうにカモにパンを与えていました。
なるほどなぁ〜と。カモも子供たちもそして母自身も幸せに感じていたように感じ、
なんだかとても心が暖かくなりました。
2010年12月29日
部長の懐
会社の部長から聞けたちょっといい話。
お客さんとの打合せの後、天気もよかったので部長と2人で歩いて会社に帰ることに。
途中公園のベンチで一休み、とても心地いい時間だった。
ふとした話から「和風総本家」というテレビの話になり、偶然僕も見ていた
「浅草」の特集をしていた時のはなしになりました。
自分の幸せは、自分の周りにいる人が幸せだから成り立っている、
だからもしお隣さんが困っていたら助け合う。
浅草には日本人の助け合いの良い心が残っているよねと。
そんな話をなにげなしにした後、再び会社へと歩きはじめました。
その後、僕は部長からとてもいい話を聞くことができたので紹介します。
部長「新築の家購入して引っ越して来たばかりの頃、毎朝家の前に犬のフンがあってさ。」
僕 「うわっ、嫌ですね〜。」
部長「うん、そうなんだよ。それである日、俺の目の前で犬のフンをそのままにして行く人がいてさ、
怒鳴ろうと思ったんだけど、やめたんだ。。。」
僕 「はい・・・。」
部長「それで俺は、次の日から毎日家の前で会う人に挨拶をすることにしたんだよ。
すると家の前から犬のフンが無くなったんだよね。」
僕はこの話を聞いてとても心が温かくなりました。
部長は、「人と人、コニュニケーションが本当に大切なんだよ。やっぱりあいさつからなんだよな。」
とも言っていました。
確かに知り合いの家の前に犬のフンをそのままにして行く人はいないと。
そこに気づき実行する部長は、常日頃から見えてる世界がとてもキレイなんだろうなぁ〜と感じました。
部長、勉強させて頂きました。ありがとうございました。
お客さんとの打合せの後、天気もよかったので部長と2人で歩いて会社に帰ることに。
途中公園のベンチで一休み、とても心地いい時間だった。
ふとした話から「和風総本家」というテレビの話になり、偶然僕も見ていた
「浅草」の特集をしていた時のはなしになりました。
自分の幸せは、自分の周りにいる人が幸せだから成り立っている、
だからもしお隣さんが困っていたら助け合う。
浅草には日本人の助け合いの良い心が残っているよねと。
そんな話をなにげなしにした後、再び会社へと歩きはじめました。
その後、僕は部長からとてもいい話を聞くことができたので紹介します。
部長「新築の家購入して引っ越して来たばかりの頃、毎朝家の前に犬のフンがあってさ。」
僕 「うわっ、嫌ですね〜。」
部長「うん、そうなんだよ。それである日、俺の目の前で犬のフンをそのままにして行く人がいてさ、
怒鳴ろうと思ったんだけど、やめたんだ。。。」
僕 「はい・・・。」
部長「それで俺は、次の日から毎日家の前で会う人に挨拶をすることにしたんだよ。
すると家の前から犬のフンが無くなったんだよね。」
僕はこの話を聞いてとても心が温かくなりました。
部長は、「人と人、コニュニケーションが本当に大切なんだよ。やっぱりあいさつからなんだよな。」
とも言っていました。
確かに知り合いの家の前に犬のフンをそのままにして行く人はいないと。
そこに気づき実行する部長は、常日頃から見えてる世界がとてもキレイなんだろうなぁ〜と感じました。
部長、勉強させて頂きました。ありがとうございました。
2010年12月25日
盆栽に驚愕
先月末に、妻と僕の両親を東京に招きレストランで食事を楽しみました。2ヶ月前に、紅葉が見えるレストランを探し白金台にある八芳園を予約しました。
八芳園に行く前に、秋を楽しもうと自然教育園を散策しました。
自然教育園内に「おろちの松」という樹齢300年にもなる松があり
その巨大すぎる幹に圧倒されました。
その後、プラチナ通りをブラブラ歩き、八芳園に向かったのですが
八芳園の園内に、今度は樹齢300年の松の盆栽があり
今度はその小ささに驚愕しました。
ついさっき見て来た自然教育園のあの巨木が、高さ4、50センチくらいの大きさに。
すべてのエッセンスが凝縮されている感じを受けとても感動しました。
海外の方が盆栽の前で写真を撮っていました。
その凄さ、日本人の美意識は国境を超えて伝わるんですね〜。
続きを読む: 盆栽に驚愕
2010年11月14日
武蔵御嶽神社 in 御岳山
続きを読む: 武蔵御嶽神社 in 御岳山
2010年10月30日
日本の紅葉は世界一美しい
最近日本の紅葉が世界一美しいことを知り、改めて日本のすばらしさを感じました。
日本の紅葉は格別に美しい。
なぜ日本の紅葉は美しいのか?
その答えは、「日本の木々の種類の豊富さ」にあります。
日本の広葉樹林を構成する木の種類は多く、20種類を超えるそうです。
これに対してヨーロッパ・カナダの紅葉は若干、色彩の豊富さにおいて少ないです。
木の種類が少ないと赤一色、黄一色になってしまいます。
また、歴史的な建造物が紅葉をさらに引き立てています。
昔から日本人は自然に美しさを感じ、自然とともに生きて来ました。
自然と共存するライフスタイルは、我々現代の人々にも脈々と引き継がれ
今でも大切にされている心の一つだと感じています。
この美しい自然をもつ日本に生まれたことを本当に感謝します。
続きを読む: 日本の紅葉は世界一美しい
2010年10月 2日
KYOTO CAFE

友人が1枚のCDを貸してくれました。
そのCDのジャケットには、とても雰囲気のあるおしゃれなカフェの写真 ♪
そのカフェは友人のお姉さんの旦那さんが店長をしている
『 Cafe les trois maisons 』というカフェで、宿泊もできるようです。
雑誌『 BRUTUS 』にも紹介されていました。
京都に行ったらぜひ一度訪れてみたいカフェです。
続きを読む: KYOTO CAFE
2010年9月15日
日本人と古代イスラエル人
日本と古代イスラエルとの共通点
日本人は今も昔も外の文化を受け入れて、
独自のモノに進化させることが上手な民族です。
しかしこれが、本当なのかどうか、なんだかよくわかりません。
驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
日本人は今も昔も外の文化を受け入れて、
独自のモノに進化させることが上手な民族です。
しかしこれが、本当なのかどうか、なんだかよくわかりません。
驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
2010年9月 1日
アレクサンダー・ゲルマン Alexander GELMAN

以前ある友人からサプライズでプレゼントされた本があります。
その本は、アレクサンダー・ゲルマン:ポストグローバル
「現代アートと日本の伝統工芸を融合させたものをプロデュースできたらいいなぁ」と友人に話していたのを
覚えてくれていたのかは、分かりませんがとてもうれしいプレゼントでした。
今までに3回は、読みました。
アレクサンダー・ゲルマンって誰?
って思う方も多いと思います。
実際この本に出会うまでは私も知りませんでした。
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アレクサンダー・ゲルマンは、世界のデザイン界に彗星のごとく現れ、
その頂点を極めると、すっとその身を退けた人物である。
グラフィックデザイナーとしてのキャリアは最高だったが、
哲学者でもあり、幾つかの米国の一流大学の客員教授でもあった。
引退するまで、彼は多くの世界的なブランディング会社から、
重要なプロジェクトのコンサルティングを任されていた。
さらには国際的なデザイン連盟の米国代表議長、米国立美術館の諮問委員、
デザインの審査委員長など重要なポストも務め、多くの受賞歴を持つ。
これだけ世界的な栄光と成功を手中に収めていたにもかかわらず、
彼は38歳で、なんの未練も持たず、全てのビジネスを手放した。
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そして、次に彼が目を向けたのが、日本のモノづくりの技術と伝統である。
ゲルマンは言う。
「日本の文化は、これから世界において重要な役割を果たして行くはずです。
この国にはまず、あらゆる分野において世界最高のモノづくりの技術と伝統があります。
それらの技術や伝統は、日本独自の概念、アプローチで構築されて来たもので
それ自体にもこれからの時代に必要なエッセンスが詰まっています。」
「自らの文化を深く理解し、これからの時代における役割を日本人自身が
自覚するようになれば、日本はかつてないスケールで、世界のリーダーとなることができます。」
外国のしかもトップアーティストの口からこのような言葉が出たことは
とても重く、意味のあることだと考えます。
私たち日本人は、先人から授かった世界に誇れる文化を持っています。
そろそろ、この機会に少し立ち止まり、自国の伝統や文化を
見つめ直してみるのもいいと思います。
決して、無駄ではないはずです。
アレクサンダー ゲルマン氏と石川県山中漆器職人たちがタッグを組み、完成させた漆のチェスセット



2010年8月30日
東國三社参り
兄に誘われて、東國三社参りに行って来ました。
東國三社とは、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社のことを指します。
○ 鹿島神宮

御祭神 : 武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)
place : 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
武甕槌神が、香取神宮に祀られている経津主神とともに武芸の神とされていることから、
武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。
創建は神代から人代に変わった紀元前660年と言い伝えられていて、平安時代に神宮の称号を
与えられていたのは、伊勢神宮と香取神宮そして、この鹿島神宮だけだそうです。

神秘的な空間。ここから空気が違いました。大自然に圧巻です

○ 息栖神社

御祭神 : 岐神(クナドノカミ)、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)、天鳥船神(アマノトリフネノカミ)
place : 茨城県鹿島郡神栖町大字息栖2882
関東以北の人は、伊勢に参宮すると、必ず「下三宮詣り」と称してこの三社を参拝したという。
御祭神・岐神は国譲りの後、東国へ向かう武甕槌命の道案内として、大国主命が派遣した神である。


○ 香取神宮

御祭神 : 経津主大神(フツヌシノオオカミ) 又の御名 伊波比主命(イハヒヌシノミコト)
place : 千葉県香取市香取1697
楼門の楼上の額は 「東郷平八郎」の筆によるものです。
この楼門は上下階のバランスの良さは素晴らしく、香取神宮のシンボル的な建物となっています。
(昭和58年重文指定)

本当にすばらしい建物です。

灯りがとても綺麗でした。
三社をお参りしてみ、それぞれの良さがありました。
鹿島神宮 : 自然、神秘
息栖神社 : 水辺
香取神宮 : 社殿
少しくせのある気難しい兄ですが、根は優しく頼れる存在です。
今回は、ご飯代からお土産代まで全て兄がおごってくれました。
感謝一杯の一日でした。
東國三社とは、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社のことを指します。
○ 鹿島神宮

御祭神 : 武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)
place : 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
武甕槌神が、香取神宮に祀られている経津主神とともに武芸の神とされていることから、
武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。
創建は神代から人代に変わった紀元前660年と言い伝えられていて、平安時代に神宮の称号を
与えられていたのは、伊勢神宮と香取神宮そして、この鹿島神宮だけだそうです。

神秘的な空間。ここから空気が違いました。大自然に圧巻です

○ 息栖神社

御祭神 : 岐神(クナドノカミ)、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)、天鳥船神(アマノトリフネノカミ)
place : 茨城県鹿島郡神栖町大字息栖2882
関東以北の人は、伊勢に参宮すると、必ず「下三宮詣り」と称してこの三社を参拝したという。
御祭神・岐神は国譲りの後、東国へ向かう武甕槌命の道案内として、大国主命が派遣した神である。


○ 香取神宮

御祭神 : 経津主大神(フツヌシノオオカミ) 又の御名 伊波比主命(イハヒヌシノミコト)
place : 千葉県香取市香取1697
楼門の楼上の額は 「東郷平八郎」の筆によるものです。
この楼門は上下階のバランスの良さは素晴らしく、香取神宮のシンボル的な建物となっています。
(昭和58年重文指定)

本当にすばらしい建物です。

灯りがとても綺麗でした。
三社をお参りしてみ、それぞれの良さがありました。
鹿島神宮 : 自然、神秘
息栖神社 : 水辺
香取神宮 : 社殿
少しくせのある気難しい兄ですが、根は優しく頼れる存在です。
今回は、ご飯代からお土産代まで全て兄がおごってくれました。
感謝一杯の一日でした。
2010年8月15日
働き者の日本人
日本人は真面目で「働き者」。
なぜ世界の人からそのように言われることが多いのでしょうか。
いつから日本人は働き者なのでしょうか?
友人から貸してもらった本(神と神楽の森に生きる
)には、こんなことが書かれていました。
========================================================
高千穂神楽でヨーロッパ公演をした時に、日本人の働き過ぎということを言われました。
そこで私は申しました。「それは、宗教の違いでしょう」と。
「旧約聖書には、神様が、神との約束を
人間が破ったから罰として
・男は一生額に汗して働くこと
・女は妊婦の苦しみ
を与えたと書いてある。
だけど日本の神話の中では、
アマテラスオオミカミ様もオオクニノミコト様も
みんな働いていらっしゃるんです。
神様自身が働いていらっしゃる国柄ですから、
日本人は労働に対して肯定的で働き好きなんです。」
と言ったんですね。そしたら、みんなそこにいる人たちが、
理解したかどうかは別としまして拍手してくれました。
-------------------------------------------------------------------------------------
ウズベキスタンという国に、かつて、戦争がおわりまして、
二万三千人もの日本人の捕虜が連行されました。
そこで亡くなった人たちがたくさんいる。
ところがウズベキスタンに日本人墓地というのがたくさんあって、
今もきれいに管理されている。
中山恭子さんという女性大使が行かれて、
なぜこんなに日本人の墓を大事にしてくれるのかと聞いたらかつて
捕虜として日本人が働いている時に、ドイツ人の捕虜と違って、
日本人は真面目に一生懸命働いて胸を張って堂々としていた。
その日本人の働く姿を見てお母さんたちは、
「あれがサムライの子孫ですよ。日本人を見習いなさい、
日本人のようになりなさい」と言って私たちを育ててくれた。
そして、日本人の兵隊さんにリンゴを持っていくと、
翌日は「おいでおいで」するものだから行ってみると、
その辺りに落ちている棒切れで人形や飛行機を作ってくれた。
だから私たちは日本人が好きになった。
戦後ウズベキスタンは、首都タシケントを中心に
二度に渡って大震災、地震に見舞われた。
ところが、日本人が造った国立劇場、ダム、道路は
びくともしなかったと言うんです。
だから、日本人に対する信頼というのが、ものすごく厚いんですね。
========================================================
真面目に一生懸命働くことは、世界共通で人の心を動かすのですね。
今ある仕事をがんばり、人に幸せを与えること。
大きな流れは止められるものではありません。
その中で、やれることを見つけ技術や経験を身につけ、
その技術で、周りの人を幸せを与えること。
それが自分の幸せにつながり、
さらに人に幸せを与えることができるようになるのですね。
さぁ、また明日から仕事頑張ろう!
日本はもともと「モノづくり」の国。
ものづくり(英:monozukuri)とは日本の製造業と、その精神性や歴史を表す言葉(大和言葉)である。
単純作業での製造ではなく特に職人などの手による高度な製造の場合にこういった表現を用いられることが多い。
職人さんの心や想いが作品に乗り移る。
それを使い手が感じ取るから、大切に使う心が生まれる。
僕もいつまでも大切に使ってもらえる器をつくりたいです。
なぜ世界の人からそのように言われることが多いのでしょうか。
いつから日本人は働き者なのでしょうか?
友人から貸してもらった本(神と神楽の森に生きる
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高千穂神楽でヨーロッパ公演をした時に、日本人の働き過ぎということを言われました。
そこで私は申しました。「それは、宗教の違いでしょう」と。
「旧約聖書には、神様が、神との約束を
人間が破ったから罰として
・男は一生額に汗して働くこと
・女は妊婦の苦しみ
を与えたと書いてある。
だけど日本の神話の中では、
アマテラスオオミカミ様もオオクニノミコト様も
みんな働いていらっしゃるんです。
神様自身が働いていらっしゃる国柄ですから、
日本人は労働に対して肯定的で働き好きなんです。」
と言ったんですね。そしたら、みんなそこにいる人たちが、
理解したかどうかは別としまして拍手してくれました。
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ウズベキスタンという国に、かつて、戦争がおわりまして、
二万三千人もの日本人の捕虜が連行されました。
そこで亡くなった人たちがたくさんいる。
ところがウズベキスタンに日本人墓地というのがたくさんあって、
今もきれいに管理されている。
中山恭子さんという女性大使が行かれて、
なぜこんなに日本人の墓を大事にしてくれるのかと聞いたらかつて
捕虜として日本人が働いている時に、ドイツ人の捕虜と違って、
日本人は真面目に一生懸命働いて胸を張って堂々としていた。
その日本人の働く姿を見てお母さんたちは、
「あれがサムライの子孫ですよ。日本人を見習いなさい、
日本人のようになりなさい」と言って私たちを育ててくれた。
そして、日本人の兵隊さんにリンゴを持っていくと、
翌日は「おいでおいで」するものだから行ってみると、
その辺りに落ちている棒切れで人形や飛行機を作ってくれた。
だから私たちは日本人が好きになった。
戦後ウズベキスタンは、首都タシケントを中心に
二度に渡って大震災、地震に見舞われた。
ところが、日本人が造った国立劇場、ダム、道路は
びくともしなかったと言うんです。
だから、日本人に対する信頼というのが、ものすごく厚いんですね。
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真面目に一生懸命働くことは、世界共通で人の心を動かすのですね。
今ある仕事をがんばり、人に幸せを与えること。
大きな流れは止められるものではありません。
その中で、やれることを見つけ技術や経験を身につけ、
その技術で、周りの人を幸せを与えること。
それが自分の幸せにつながり、
さらに人に幸せを与えることができるようになるのですね。
さぁ、また明日から仕事頑張ろう!
日本はもともと「モノづくり」の国。
ものづくり(英:monozukuri)とは日本の製造業と、その精神性や歴史を表す言葉(大和言葉)である。
単純作業での製造ではなく特に職人などの手による高度な製造の場合にこういった表現を用いられることが多い。
職人さんの心や想いが作品に乗り移る。
それを使い手が感じ取るから、大切に使う心が生まれる。
僕もいつまでも大切に使ってもらえる器をつくりたいです。
2010年8月13日
神話こそ民族の核心
日本人のこころってなんだろうか。
「日本人のこころ」ってなに?と聞かれたらなんと答えたら良いだろうか
と考えていたとき友人が1冊の本を貸してくれました。
神と神楽の森に生きる
たまたま貸してくれたその本に、答えが書いてあった様な気がします。
日本人のこころは、私たちの先祖が脈々と受け継いで来た「神話」の中に
あるんじゃないかと今はそう思っています。
==========================================================
文化人類学では、コア・パーソナリティー、民族の核心に帰すべき性格と申して、1つの民族には、
十万年くらいでは変わらない核心的性格があると申しております。
神話というのは、私たちの祖先が未だ文字や記録を持たない有史以前のはるかな昔から、その民族が、
数万年ときに数十万年にわたって経験した記憶の伝承、集合的無意識というのがござまして
記憶にはないけれども、人々の世界観や感性に決定的な影響を及ぼした経験の記憶であります。
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○ 最高神は女性神
世界中の歴史の古い民族国家というのは、共通して神話というのものを持っています。
例えばギリシャ神話、ローマ神話、ゲルマン神話、エジプト神話など世界にはたくさんの神話があります。
これに共通することは、すべて神々の世界でもっとも偉大な最高神は男性です。
世界の神話は男性原理で成り立っている。
ところが、日本神話だけは、神々の中で最も尊い神様はアマテラスオオミカミという女性神なんですね。
ギリシャ神話に出てくる最高神であるゼウスは、力と謀略と、知恵の神です。
親や従兄とまでと戦って勝ち抜いた1番強い神が最高神になっている。
ところが、日本のアマテラスオオミカミとても争いが嫌いな、そして、弟が悪いことをすれば
これは自分のせいだと考える心優しい慈愛の神様なんですね。
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○ 失われた神話教育
神話と申しますと、かつては有史以来国民に親しまれ、国民思想に大きな影響を与えてきたもので
ございますけれども戦後は、新しい時代には無用の学として教えられることはありませんでした。
戦後の日本人は、先の大戦による敗戦と、戦後の高度経済成長のなかで、実に多くの愛の心を失ってきました。
国に対する愛、自然に対する愛、郷土愛、家族愛。中でも自国の歴史や文化に対する愛については、
堂々と口にすることさえ憚られる風潮さえ存在しました。そのことは、当然のことながら神話や
建国の精神さえも失わしむる結果となったのです。
特に、占領軍GHQの教育政策というのが、教育現場に宗教を持ち込んではならないという厳しいものでしたから、
神話というのは、そのまま戦後は教えられることも知る機会もなかったわけでございます。
自国の歴史、民族固有の物語を失いあるいは忘却した国民は、やがて分裂し滅びてゆく以外にたどる道はありません。
==========================================================
学校の教育では教わらないが、我々は家庭の中で、日本神話を子供たちに伝えることができます。
古来から語り継がれて来た、自国の神話(精神)を大切にし後世に伝えていければと思っています。
母と子におくる教科書が教えない日本の神話
2010年8月12日
日本の伝統文化に興味を持ったきっかけは?
正直、高校・大学と欧米の文化が好きで日本の文化には興味はありませんでした。
27歳の時にある衝撃を受けて日本人として日本を大切にしようと思うようになりました。
ある衝撃とは、9.11同時多発テロがアメリカの自作自演だったこと。
また、メディアが正しい情報を提供していないという事実を知り衝撃を受けました。
今までの人生でなんの疑いもなくメディアを信じて生きて来たので、自己が崩壊するくらいの強い衝撃でした。
詳しく調べていく中で、戦後日本の教育やメディアをはじめ社会全体が知らず知らずのうちに
欧米化されていることを知った。と同時に自分も含め日本の古き良き心を持つ人が少なく
なっているのではないかと思うようになりました。
グローバリゼーションが行き過ぎています。
市場原理主義(損か得か主義)が、地域、家庭も崩壊に追いやっています。
また市場原理主義のもと日本の職人が作りだす伝統工芸が衰退していること。 これにも危機感を持っています。
特に欧米化を否定するつもりはないのですが、自然と「日本を極度の欧米化から守りたい」という気持ちを持つようになりました。
そして・・・
まずは自国「日本」をもっと知ろうと思い、できること、興味があることから始めました。
28歳の時、日本茶検定1級を取得、翌年日本茶アドバイザーの資格を取得しました。
また、幼少期茶道をやっていたことを思い出し茶道をはじめました。
と同時期に趣味として陶芸を始めました。
また、このブログで日本の伝統、文化、精神、こころについて発信していければと思っています。
大学時代の先生の言葉
「グローバリゼーションにハーモニゼーションを加えて、ギスギス社会をしっとり社会にしたいものです。
世界は「もっと貧しく、もっとゆっくり、そしてもっともっと心豊かに」なりたがっています。」
27歳の時にある衝撃を受けて日本人として日本を大切にしようと思うようになりました。
ある衝撃とは、9.11同時多発テロがアメリカの自作自演だったこと。
また、メディアが正しい情報を提供していないという事実を知り衝撃を受けました。
今までの人生でなんの疑いもなくメディアを信じて生きて来たので、自己が崩壊するくらいの強い衝撃でした。
詳しく調べていく中で、戦後日本の教育やメディアをはじめ社会全体が知らず知らずのうちに
欧米化されていることを知った。と同時に自分も含め日本の古き良き心を持つ人が少なく
なっているのではないかと思うようになりました。
グローバリゼーションが行き過ぎています。
市場原理主義(損か得か主義)が、地域、家庭も崩壊に追いやっています。
また市場原理主義のもと日本の職人が作りだす伝統工芸が衰退していること。 これにも危機感を持っています。
特に欧米化を否定するつもりはないのですが、自然と「日本を極度の欧米化から守りたい」という気持ちを持つようになりました。
そして・・・
まずは自国「日本」をもっと知ろうと思い、できること、興味があることから始めました。
28歳の時、日本茶検定1級を取得、翌年日本茶アドバイザーの資格を取得しました。
また、幼少期茶道をやっていたことを思い出し茶道をはじめました。
と同時期に趣味として陶芸を始めました。
また、このブログで日本の伝統、文化、精神、こころについて発信していければと思っています。
大学時代の先生の言葉
「グローバリゼーションにハーモニゼーションを加えて、ギスギス社会をしっとり社会にしたいものです。
世界は「もっと貧しく、もっとゆっくり、そしてもっともっと心豊かに」なりたがっています。」
